明治の維新から、日本型資本主義が始まった。
発刊日:2021年3月12日
-->
※この文章は音声データに変換できます。ボタンを押して再生ください。
-
1840年3月16日、日本の資本主義を作り上げた渋沢栄一が生まれた。
今から約2年前に、渋沢栄一が2024年に発行される一万円紙幣の顔になることが決定された。
日本経済の父ともいわれた渋沢栄一は、国立銀行条例に基づいて、全国に153の銀行を設立した。
この国立銀行は、第一銀行から、第百五十三銀行まで作られた銀行で、
金貨との兌換紙幣の発行権を持つ、国が設立を認めた、初めての銀行であった。
この紙幣は、民がこの紙幣を銀行へ持ち込むと、銀行はその発行した紙幣と交換で「金」を渡した。
これが、日本の紙幣となり、日本型の資本主義時代の始まりともなった。
明治の維新までは、全国に三百といわれた「藩」が中心となり、これを担った。
織田信長の政権からの戦国時代までは、寺を中心とした金融業が盛んであった。
昨今では、ビットコインが667万円の最高値を付け、仮想通貨の流通価値も激変した。
1971年8月15日、当時のアメリカ大統領は、ドルと金との交換を停止した。あのニクソンショックだ。
この兌換停止により、世界中のドルは下落し、当時、1ドル360円の固定レートが廃止され、現在、109円26銭(16:56現在値)となった。
ドルの史上最安値が76円46銭であったことを踏まえると、ドルは円に対して最大で約80%下落したこととなる。
着眼点を国内の金融市場から米国のFRBに変えて、全世界の金融市場を眺めるといろいろなことが見えてくる。
まず、米国は当時の日本を含む、世界の製品輸出国から、大量の商品を輸入し、米国の内需拡大で世界の経済をリードした。
留意すべき点は、この後である。
輸出国は、代金を全て「米ドル」で集金し、次回の原料調達向けの資金へそのままシフトした。
そして、残った米ドルを、金利の高い米国債に投資し、米国の証券会社へ大量に預けた。
ニクソンショックから、日本の円は凡そ、3分の1相当の、110円前後となった。
仮に、その輸出国が向こう30年の間に3倍相当に輸出額(自国通貨ベース)を拡大し、受け取ったドルを3倍とする。
受け取ったドルをすべて自国通貨に変換したとし、為替レートが3分の1に下落している場合、かつ、輸出生産物の米ドル単価が同一と仮定した場合、
その輸出国の経済 成長率は、米ドル通貨基準で実質ゼロベースとなる。
すなわち、国際通貨の米国に限り、貿易収支のバランスに左右されない経済体制の国家といえる。
米国は1ドル360円の固定レートで世界に米国債を大量発行し、世界の物資を最大限 調達した。
そして、金の兌換を廃止して、変動為替相場へ移行し、総額で21兆ドルといわれる、この膨大な借金を、
仮に、すべて、海外の政府や企業にこれを引き受けさせ、同時に通貨が3分の1に下がったと仮定すると、
米国政府の借金は、実質的に3分の1に減額されることとなる。
すなわち、戦後に発展途上し、米ドル債を大量に抱えた輸出大国では、バブルショックと同じ規模のドルショックが起きたこととなる。
-
国内外の経営者もしくはこれからベンチャー企業を目指す将来の経営者予備軍の方々へ向け
毎月12日にネットでの限定発信により、2020年1月~毎月「しんか」をご提供しております。
>
OIA協会トップページへ